〜解説〜

9月4日出題分
4人の方に解答をいただきました。どうもありがとうございました。
まず、お詫びがございます。三段落目の[]の部分が、問題文で抜け落ちておりました(汗)。さらに、赤字のdifferentの部分がdifficultになっておりました。たいへん申し訳ございませんでした。おそらく、意味が通らず、翻訳に苦慮されたと存じます。
ご投稿いただきましたみなさまの解答を元に、翻訳に苦しまれたと思われます箇所を中心として解説を致しました。ただ、これは私なりの解釈です。答えは決して一つではないですので、「参考」という程度でお受け止めいただきたいと存じます。ご意見がございましたら、ぜひ掲示板あるいはメールでぜひお寄せください!
なじみの無い単語を解説したヒントも合わせてご覧ください。


Seven Years in Tibet :
Internment-1

By the end of August 1939, we had completed our reconnaissance. We had actually found a new way up the mountain and were now waiting in Karachi for freighter that was to take us back to Europe. Our ship was long overdue, and the war clouds were growing even denser. Chicken, Lobenhoffer, and I accordingly made up our minds to extricate ourselves from the net that the secret police had already begun to lay for us (1) and to slip away-wherever we found an opening (2). Only Aufschnaiter was for staying in Karachi. He had fought in the First World War and could not believe in a second.

The rest of us planned to break through to Persia (3) and find our way home from there (4). We had no difficulty in shaking off the man who was shadowing us, and after crossing a few hundred miles of desert in our ramshackle car, we managed to reach Las Bela, a little principality to the northwest of Karachi. But there fate overtook us, and we suddenly found ourselves taken in charge by eight soldiers, on the grounds that we needed personal protection. We were, in fact, under arrest, although Germany and the British Commonwealth were not yet at war.

Soon we were back with our trusty escort in Karachi, where we found Peter Aufshnaiter. Two days later, England did declare war on Germany. After that, everything went like clockwork. A few minutes after the declaration of war, twenty-five Indian soldiers armed to the teeth marched into a restaurant garden where we were sitting, to fetch us away. We drove in a police car to an already prepared prison camp fenced with barbed wire. But that turned out to be merely a transit camp[, and fortnight later we were transferred to the great internment camp] at Ahmednagar near Bombay. There we were quartered in crowded tents and huts in the midst of a babel of conflicting opinions and excited talk(5). No, I thought, this atmosphere is too different from the sunlit, lonely heights of the Himalayas. This is no life for freedom-loving men. So I began to get busy looking for ways and means of escape.


actually:「実際は」というより、意外性を表す「なんと」というニュアンスが強いと思います。
now:物語等の中の過去時制の動詞と共に使われた場合、「次に」という意味になります。もちろん、「今や」という表現でもいいと思います。
even :比較級を強めて「なお一層」という意味ですね。
made up our minds:下線部(1)と(2)は、同格として、この言葉にかかります。「(1)し、(2)することを決心した」ということになります。
lay for:「〜にわなを仕掛ける」という意味になります。
opening:「抜け道」という意味があります。
in a second:おそらく「瞬時に」という意味でしょう。second=秒、として捉えました。
planned:下線部(3)と(4)は、同格として、この言葉にかかります。「(3)し、(4)することを計画した」ということになります。
break through:「突破する」という意味です。
home:「母国」と訳してみました。
shaking off:「振り払う」という意味ですね。
shadowing:「尾行する」です。本来は「影」という意味ですが、影=尾行・・似てますね。
and:and 以下ですが、前の文章とは分けて訳した方がわかりやすいと思います。
fate:「運命」「運」ですが、不幸な、というニュアンスがあります。
overtook:「襲いかかる」という意味ですね。
found ourselves:find oneself 〜で、「〜の状態であることに気付く」という意味になります。まあ、ここはfound ourselves の部分を were に変えて、単なる受動態にして訳していいと思います。
although:「〜にも関わらず」と訳すと、意味が通りやすいのではないでしょうか。
back:「後戻りする」という意味になります。
like clockwork:本来「正確に」という意味なのですが、ここでは「筋書き通りに」なんて訳すといいかもしれません。
to:marched into 〜の目的不定詞として訳した方が多かったですが、いっそ、結果の不定詞として訳してみてもよろしいと思います。つまり、marched into 〜の結果、fetch us away となった、という感じで。
prepared:これは、prison camp にかかります。形容詞的用法ですね。「用意された」という意味です。
turned out to:「〜であることがわかる」という意味になります。
fortnight:「二週間」という意味だそうです。
internment:「抑留、収容」という意味です。この章の題名でもありますね。
tents and huts:下線部(5)は、この節にかかります(形容詞的役割)。
in the midst of:「〜のさなかの」という意味になります。
lonely:「孤独な」という意味だけではなく、「人里離れた」という意味もあります。この場合は、後者だと思います。
heights:複数形で「高地」という意味となります。
get busy:「〜に取りかかる」という意味です。

訳:



抑留-1

 1939年8月末、(ヒマラヤ登頂のための)踏査行を終えた。我々はなんと新しい登頂ルートを発見して、次に、カラチでヨーロッパに戻る船を待っていた。船は非常に遅れており、第二次世界大戦の戦雲は、なお一層濃くなってきていた。それ故、ヒッケン、ローベンホッファーと私は、すでに我々をわなにかけようとしている秘密警察の監視網をくぐり抜け、どこでもいいから抜け道を探し出し逃れようと決心した。アウフシュナイターだけは、カラチに残った。彼は第一次世界大戦で戦ったくせに、すぐには(次の戦争のことが)信じられなかったのである。
 残りの我々は、ペルシャまで突破し、そこから母国にたどり着こうと計画した。尾行者を難なくまき、おんぼろ車で裁くを数百マイル走り、なんとか、カラチの北西に位置する小さな公国ラスベラにたどり着いた。しかし、ここで悲運に襲われた。我々は突然8人の兵士に保護されてしまった。我々は「個人的に保護される」必要があるとの理由で・・・。この時点ではまだ、ドイツと英連邦は交戦状態に入っていなかったにも関わらず、我々は事実上逮捕されてしまったのだ。
 すぐに、護衛された状態でカラチに後戻り。そこにはペーター・アウフシュナイターもいた。2日後、イギリスはドイツに対し宣戦布告。その後、ことのすべては筋書き通りに進んだ。宣戦布告の数分後、我々がレストランの庭でたたずんでいるところに、完全武装した25人のインド兵士に踏み込んで来て、我々を拉致し連れ去った。そして、警察の車で、早くも用意されていた鉄条網付きの収容所に連れて行かれた。しかし、そこは単なる仮のキャンプでしかなかった。その2週間後、我々はボンベイそばのアーメドナガルの大きな収容所に移された。我々は、すし詰めのテントやほったて小屋をあてがわれたが、そこはもう、衝突する意見や興奮したおしゃべりのさなか。「違う!」と私は思った。「この状況は、太陽に照らされた人気の無いヒマラヤ高地とはあまりに違いすぎる。これは、自由を愛する男達の生活ではない!」そこで私は、脱出経路と方法の模索に取りかかったのである。


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